TRAVEL 中欧編

前途多難 2001.5.4

Tassiはブダペストに3日間滞在したが、残念ながら竿モノ民族弦楽器を見つけ出せなかった。唯一ゲットしたのはあのハンガリアンチターだけ。日本を発って早12日、この先の行程はルーマニア、ブルガリアの予定である。さあて、めぼしいお宝はあるのだろうか。Tassiにとってルーマニアというと、1989年の「チェウシェスク大統領の公開処刑」の印象がいまだに強く残っている。あれから10年余り、まだまだ政治的社会的に不安定な要素は多そうだ。楽器探し以前に無事に旅が出来ることを心配した方がイイかもしれない。

久々のギター登場だ、この手の19世紀ギターと言えば、やはり鶴田師匠にウンチクを傾けてもらうしかないだろう.....。



● へいへい、ウンチを傾ける、いや、ウンチク傾け担当の鶴田でございます(謎)。お呼びになりましたか? 呼ばれて飛び出て......なぁ〜〜んていふのはおっさんの証拠ですね(いまどきのワカモノはハクション大魔王って知らんでしょうなぁ?)。Tassi も世界の果てまでよく足を延ばしますねぇ、すごいなぁ.....。さておき、この博物館はなかなか通好みのアイテムを揃えていますね、写真右側は19世紀前期〜中期にかけてウイーン(一部ドイツでも)界隈で広く製作されたスタイル。くびれの強いボディシェイプと指板高音域のカットが特徴的です。このタイプでヒールにボルトを仕込んでネックの角度を調整できるものもありました。かのマーチン創設者がギター製作を学んだシュタウファーがこのスタイルの楽器としてよく知られています。シュタウファーはインラインペグのスクロールヘッドが有名でC.F.Martin も同様のギターを製作していましたが、スクロールでない木ペグのこういったヘッドもラインナップにあったのです。ちなみにこういったウイーンスタイルでは側面と裏板はメイプルやシカモア(裏板はブックマッチではなく1枚モノが一般的)です。のちにこのスタイルのギターはロシアへも影響を与え、19世紀後期〜20世紀初頭には似通っていながらも材料や細部の仕様が微妙に異なる「ロシアンギター」が大量に生産されることになります。ロシアでは7弦や13〜15弦ギターも同時期に普及し、時としてウイーンのギターと混同されながら現代まで多くの楽器が生きながらえています。

さて、写真左のギターは1820年頃〜1845年頃によく見られるナポリタン(イタリア)スタイルですね。ギターの6単弦化に大きく貢献したといわれるファブリカトーレ一族などの典型的なスタイルです。。但し、こういったナポリのギターは演奏家たちによって北へ北へと伝承されたため、ウイーンでもこういった優れたナポリタンギターを作りたいという製作家が多く現れ、その結果「ウイーン生まれのナポリスタイルギター」、つまり一見するとこの写真のようにナポリタンギターに見えますが、じつはラベルがウイーン界隈の製作家だったりすることがあるわけです。昔から優れた楽器は多くの製作家がコピーを作っていたという証なんですね。ブリッジに太めの象牙らしきサドルが入っているので修理・改造がなされていると思われます。ヘッドは改造されている可能性があります。

ついでに写真の左端っこのチョットだけ姿の見えるギターもイタリアの楽器でしょうね。トリノ風のヘッドに見えます。時代はうんと古いか、もしくは1875年〜1895年頃かと思います、19世紀初頭〜中期のスタイルとは雰囲気が異なります。ヘッドが特徴的で..........ありゃ? Tassi の解説本文より長くなっちゃいましたね。スイマセンなぁ.....今日はこのへんで........。